地域政党サミット訪問記①(第四回地域政党サミットin小金井市)
1月22日に小金井市にて「地域政党サミット」が開かれました。
そもそも地域政党って、ご存知でした?
地域政党とは、特定の地域で活動する政治団体や政党のことを指します。一般的に政党のように要件が定まっているわけではなく、定義が曖昧な部分があります。他方、地域に根差した独自の活動ができるという強みもあります。
大阪維新の会がかなり有名ですが、地域にはその土地のために頑張っている地域政党がたくさん存在しているようで、それぞれが少しずつ共闘し始めたのかなという感じです。
今日はその中の基調講演を務められた北川先生のお話をご紹介します。
まずはプロフィールです。
ご本人のウェブサイトから転載させていただきますと・・・・
1944年生まれ。1967年早稲田大学第一商学部卒業。1972年三重県議会議員当選(3期連続)、1983年衆議院議員当選(4期連続)。1995年、三重県知事当選(2期連続)。
「生活者起点」を掲げ、ゼロベースで事業を評価し、改革を進める「事業評価システム」や情報公開を積極的に進め、地方分権の旗手として活動。達成目標、手段、財源を住民に約束する「マニフェスト」を提言。
2期務め、2003年4月に退任。2003年4月より早稲田大学政治経済学術院教授。2015年3月に退任。現在、早稲田大学名誉教授、早稲田大学マニフェスト研究所顧問。「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)共同代表。2009年地域主権戦略会議構成員。2011年より相馬市復興会議顧問。2013年より長野県政策研究所チーフアドバイザー、新潟州構想検討推進会議顧問。
ものすごく語り口が軽妙ですし、50代かと思ってしまうほどでした。精力がみなぎっていらっしゃいます。
45年前に三重県知会議員に就任し、3期務め、その後衆議院議員4期務め、三重県知事を2期。金権腐敗にまみれた政治もずいぶん味わってきたが、その反省も含め、新しい政治をどうやって作っていくかを、地域政党ということを基軸に一緒に考えていきたいということで、地域政党連絡協議会のオブザーバーを務めることになさったそうです。
戦後72年。戦後の流れを俯瞰して今日の政治の流れをまずはご紹介いただきました。
まずは、戦争を振り返ってみる
「300万人以上の同胞が殺された。政治の失敗で殺されたというのが事実。130以上の自治体が爆撃にさらされた。戦後の課題は「国民におなか一杯のご飯を上げること」。近代化は工業化であり、そこに圧倒的な資源を集中投下することで、この経済基盤をコントロールするために、中央集権体制が築き上げられた。軍隊を残さずにどうやって国を保つかということが議論され、戦後政治の骨格がそこで作られた。」と一気に総括をしてくださいました。
戦争を知らない世代が多くを占めるようになってきた今、戦後から政治を総括するという見方はなかなかなかったなあと思いつつ・・・。
民主化へと大きな転換がはかられ、小作が自作になり、女性の参政権が認められ、日米安保条約が結ばれ、自由経済が確立されていきました。工業化が善だという、強権的かつ画一的な政治が開かれ、地方は国の下請け的なものとなっていきます。戦後民主主義はまだまだ歴史が浅いということですね。
地方公共団体は、これまで国の公共的な下請けとしてしか機能が認められていませんでした。地方は執行部という考え方であり、政治はそこに必要がないとされたのです。こうした徹底した中央集権があったからこそ、日本は敗戦から見事に立ち直ってきたのです。
ただしこの根底は「生産が善」であり「サプライサイド(供給重視)」の経済が主軸に据えられたうえでの快進撃だったということになります。だからこそ、やがて公害問題が起きた時も当初は「どんどん生産する中では、ある程度は仕方がない」という風潮だったようです。
さらにはプラザ合意という問題が起きました。それまでは1ドル240円だったものが120円へと切り下げられたわけです。360円で成功していた戦後体制が120円だったので、ここで円高対策にシフトすべきだったのですね。1985年ごろの経済変動はこれによりもたらされたもの。日本の高い教育レベルにもささえられ、高度経済成長の中で、供給側にたった経済発展がはかられていきましたが、同時にそれは、サプライサイドによる政治、つまり税を使って利益を分配するというシステムが機能していたということです。
技術進歩がまた大転換に大きな影響を与えてきました。インターネットの普及により、行政の透明化が進みます。官官接待がばれてしまうということも起きるようになりました。それで透明性を保つことが三重県でも必要になってきたといいます。都議会では政党復活予算がまかり通るようなことが起きていましたが、最も透明化が進まなかったのが東京都議会だったということです。
さて、北川さんからのメッセージを続けます。
「この国を新たなものとして作り上げていってほしいと思う。」と力強いお言葉。
地方創生に力を入れるということを政府は始めました。国が気に入るようなプランではなく、体制から自立する覚悟をもって、補助金に頼らない地方を作っていかないといけないと北川氏は語ります。
「こうした中で、地域政党が立ち上がろうというのは、私はとても望ましいことだと思っている。地域での「覚悟」が必要。」と北川氏の地域政党への期待がうかがえるコメントがなされていました。
執行部としての首長は、単なる国の下請け仕事、議会は単なる追認の機関として存在してきました。でも今は、成熟社会の中で本気でこの体制を変える必要のある時代がやってきたわけです。議会は執行部としての首長と対峙して、民意をバックしながら、民意の代表としての存在意義を出していく時がやってきたと北川氏はおっしゃいます。
従来の中央集権的なパラダイムの中で貶められてきた地方議会が、今は改革され、力を持つ時がやってきました。執行部である首長と議会という機関競争がしっかりできてこそ地方自治がしっかりとしてきます。対等な関係で機関競争をし、国と地方が対等協力をしていかないといけないのだと北川さんの熱い語りが続きました。
パラダイムシフトが必要
しかし依然として政治は恩顧主義。サプライサイドのやり方が全く変わっていません。あれもこれもから、あれかこれかの選択をしなければならなくなったのに、です。限りある資源をどうするか。資源分配ではなく、負担分配を考えるという時代です。
マニュフェスト・スイッチ・プロジェクト、私も今回初めて知りましたが、全国のマニュフェストを見ることができます。だからこそ、実施されたのか、効果はどうだったのか、ネットではすべてが白日の下にさらされます。このマニュフェスト・スイッチなどを使いながら、お願い選挙から約束の選挙へ。代議制民主主義は新しいフェーズに入っていくのでしょう。そして、有権者もまた変わらなければならない時がやってきたのだと思います。
北川氏は政治家としての実績も素晴らしいものがありますし、政治学者としても見識の高さもあります。その彼をして「地域が動くこと」こそが国を変えていくと言わしめています。
次回は、もうおひとりの基調講演をなさった、琉球大学の島袋先生のお話「沖縄に見る地域政治の歴史」についてご紹介します。
レポート 西村恵美